今月の名品・名跡鑑賞

蓮池堂文明『小倉山荘百人一首』冊頁
(その50 最終回)

 『小倉山荘百人一首』は、藤原定家が京都の小倉山山荘で選んだとされる。百人一首に採られた和歌は、一番の天智天皇の歌から百番の順徳院の歌まで、各歌に歌番号(和歌番号)が付されている。この歌番号の並び順は、だいたい古い歌人から新しい歌人の順となっている。
 本冊は、現在の歌順と一致しないところもある。また、揮毫者が蓮池堂文明であることが、冊奥書から判明している。蓮池堂文明の生卒年は不祥であるが、江戸後期の著名な能筆家の一人であった。本冊では百首を百様に紙面の「ちらし(行構成、文字配置や配列の変化)」を書き分けている。冊後半では、✕や扇面、〇など従来に見られない特殊な「ちらし」もあって、その発想の豊かさは驚くべきものがある。おそらくは当時の調度手本、または販売を目的とした豪華本と推測される。
 なお、じっさいは九十九首がかかれて、最後の頁を空白にして一首(92番 二条院讃岐の歌)が書かれていない。「書き漏れ」のために売られることなく、そのまま手元に残されたものであろう。
 写真は、それぞれの頁を見せるために、あえて左右を白頁として画像を加工してある。

99 人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は 後鳥羽院
(揮毫なし)
100 ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり 順徳院
表紙『小倉山荘色紙』題箋                       奥書
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98 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける 従二位家隆

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先月の名品・名跡鑑賞

蓮池堂文明『小倉山荘百人一首』冊頁(その49)