漢字の五体(11)   ◆◇◆HOMEにもどる


行書について(その2)
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 行書(ぎょうしよ)の起源は、いつと特定することはできません。また、自然に発生したというよりは、書体の展開の中で最後にたどり着いた完成された書体であることは楷書とおなじです。
 現在確認することのできる文字の発展は、甲骨文(こうごつぶん)の時代・金文(きんぶん)の時代・篆書(てんしょ)の時代・隷書(れいしょ)の時代・草書(そうしょ)の時代・楷書(かいしょ)の時代・行書(ぎょうしょ)の時代と考えてみますと、これらは時間の経過に従って移り変わることもありますが、同時に平行して行なわれる場合もあります。また、今かりに時代という表現を採りましたが、これも代表されるという程度のことで、決してある書体だけに限定されて使用されたものでないことは「楷書について(2)」でお話した通りです。秦(しん)の始皇帝(しこうてい)によって定められたと言われる篆書(ここでは小篆をさす)は公式書体として石碑に残されましたが、漢になると筆写に適したと考えられる隷書・草書が盛行し、これに篆書が継承されて、隷書・草書・篆書の三体が同時に平行して行なわれました。こうした状況の中から楷書が発生したと考えられています。では行書はどこから成立するかというと、これがたいへん厄介な問題ですが、やはり王羲之(おうぎし)以後というのが現時点での妥当な考え方でしょう。
 王羲之の行書というと『蘭亭序(らんていじょ)』が有名ですが、現在みられるものは、広く知られるとおり唐代(とうだい)の摸写本といわれるものです。『集字聖教序(しゅうじしょうぎょうじょ)』は、よく手習いされていますが、唐の僧の懐仁(えにん)が、王羲之の字を集めたり、偏旁(へんぼう)をあわせたり工夫してこしらえたものです。これらのことから、もっとも王羲之の真相を伝えているといわれるのが『喪乱帖(そうらんじょう)』(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)とされています。西川寧博士は、王羲之の字とくに『喪乱帖』『集字聖教序』を分析して次ぎのように述べています。「……羲之の書の特色は、……楷書がかなり固まってきたとはいえ、後世(こうせい)のように、まず楷書がすべての書体のスタンダードとして厳存し、行書や草書がそのくずしとして存在するのとはまるで違う、その以前の状態なので、止め方、はね方、まげ方、払い方、みな今日の我々の常識とは違う。つまり、すべて、三節構造(さんせつこうぞう)以前の止め方払い方なのである。……」(「行書の心得」西川寧 『書道講座』2 1971 二玄社)ここでの三節構造とは、楷書の完成された筆使いをいったもので、王羲之の書が楷書の完成以前のスタイルであることを指摘しています。詳しくは「行書の心得」を熟読されることをお薦めしますが、西川博士は、『集字聖教序』のなかの「済(さい)」、『喪乱帖』のなかの「毒(どく)」「摧(さい)」「貫(かん)」を、楷書の完成以前のスタイルをもつ字としてとりあげています。「済」「毒」「摧」「貫」のいずれも、王羲之独特のスタイルです。これらの独特のスタイルが、楷書の完成以前のものであることを指摘しています。さきほどの『蘭亭序』が王羲之の書としての真相を伝えていないとされるのは、王羲之独特のものであるところの“楷書の完成以前のスタイル”としての字の様子が乏しいためであることが理由で、楷書が完成したあとの、楷書を基調にした行書のスタイルにちかいものであるためなのです。
 楷書の成立は、『諸佛要集経(しょぶつようしゅうきょう)』〈元康六年(296)〉や封検ふうけん「詣鄯善王(けいぜんぜんおう)」〈泰始五年(269)推定〉のころ、つまり三世紀末のころです。王羲之は四世紀中ごろに活躍しましたが、王羲之のほかに行書はないかというと、李柏によって書かれた手紙である『李柏尺牘(りはくせきとく)』〈永和二年(346)推定〉二紙があります。これは日本の西本願寺(京都)の西域探険隊が中国の新彊(しんきょう)で発見されたとされるもので、龍谷大学図書館に所蔵されています。この『李柏尺牘』は、たいへん立派なもので、当時の手紙として首尾の完結した非常に重要な資料です。同じ手紙である『喪乱帖』と比べてみると、起筆(きひつ)・送筆(そうひつ)・収筆(しゅうひつ)のトン・スー・トンのリズムといわれる三節構造が不十分で、とくに起筆・収筆は意識されずに筆を紙に置いている点や、縦画(じゅうかく)のハネは筆の回転によって処理することで三角形にかたち造られていないことなど、筆使いの未完成の様子がはっきり見ることができます。


初出/『拓美』384号(平成9年11月)
再出/『菅城』662号(平成13年1月)・655号(平成13年4月)
Web版/平成18年4月再編・加筆