漢字の五体（３７）　　　◆◇◆ＨＯＭＥにもどる

隷書について（その１）　
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　今回は、今まで取り上げた漢字の書体のうち、最後になりました隷書（れいしょ）を取り上げてみたいと思います。
　紀元前二二一年、秦（しん）の始皇帝（しこうてい）は中国全土を支配すると、それまでの諸国の文字を廃止して、自国の文字である篆書（てんしょ）を共通統一文字として強制使用を命じました。ふつう、これが文字の統一として広く知られるものです。このとき施行された篆書〈小篆（しょうてん）のこと〉は、秦で従来からつかわれていた文字〈大篆（だいてん）〉を整理し標準化したものです。
　隷書は、この篆書から生まれた漢（かん　前二世紀頃～二世紀頃）の書体と考えられていますが、近年の竹簡や木簡といった戦国時代から漢・三国時代にかけての肉筆資料が発見されて、篆書から隷書への書体の移行について新しい考えが提起されるようになりました。
　従来の考えは、篆書が直線化して方勢（ほうせい　四角い文字構造をとること）となり古隷（これい　篆書を直線化させたもの）が生じ、これをもとにして横画を強調した隷書〈八分（はっぷん）・八分隷（はっぷんれい）または漢隷（かんれい）ともいう〉が成立したというものです。
　これに対し近年は、秦が文字統一する以前から公式書体としての文字が青銅器などに残されたもので、これとは別に日常体として筆写に適する文字体が存在して、これが竹簡や木簡に書かれた文字資料であるというものです。この筆写体の筆法に篆書が融合して隷書につながったとする考え方です。こうなると古隷の存在はどうなるかということですが、これは一種のスタイルとしての様式ととらえ、篆書・古隷・隷書また草書が並存したとします。
　こうした新しい考えに基づきますと、漢という時代は非常に文字が使用された、また広く文字が人々に行き渡った新世紀ともいえましょう。楷書や行書がもちいられるのは後のことになりますが、当時の多くの人々によって、さまざまに文字が使用され表現され工夫されるようになったことは、のちに書表現つまり芸術書道へのおおきな土壌を培ったことでしょう。そしてこの漢の四百年ほどのあいだに篆書・古隷・隷書・草書は、おたがいに文字構造に影響を与え合いながら筆法を確立させ、三国時代以後の楷書・行書の成立と書聖王羲之の登場を迎えることになります。
　では、隷書の特徴を見てみましょう。図版上部は隷書の基本点画の用筆・運筆を示したものです。篆書と比較しながら考えると一層はっきりとした特徴を捉えるができます。
　まず①隷書の筆画は全ての点画が、逆入・蔵鋒（ぎゃくにゅう・ぞうほう　起筆を逆入して、筆先をあらわさない）によって始まることです。これは篆書の筆法とおなじです。この逆入蔵鋒ができていれば、筆先が筆画の中心をとおって中鋒（ちゅうほう）となり、側筆になることはありません。これによって篆書・隷書独特の強靭な非常に充実した線質になります。②運筆は、起筆・送筆・収筆とも一定の筆力、一定の速度でおこない変化しません。③文字構造は、横画が水平をとり縦画が垂直をとって原則として左右が対象になります。以上は①から③までは篆書・隷書に共通する用筆と運筆です。（①・②については図版下部参照）
　つぎに、隷書の大きな特徴である④波磔（はたく）と⑤転折（てんせつ　折り曲げ）は篆書とおおきく異なるところです。④波磔は、図版下部中の収筆の最後に力を入れて右上方に払い出します。ただし波磔を持つ画は、一字の筆画中に一画のみを原則（一字一波の原則という）とします。⑤転折は横画と縦画を別にして書きます。篆書が肩を丸めるところは、だいたい四角く角張ることになります。
　隷書を説明する言葉に波傑のほかに、波勢（はせい）という言葉があります。すでに説明しましたように、波磔は隷書の文字にある一画の部分を呼んだ言葉です。波勢は、文字全体をさしています。波のようなリズムが、文字全体を調和させていることをいいます。波勢を、より強調して見せるのが波磔になります。波勢の「勢」を説明して、「いきおい」と解釈したり説明するものがありますが、これは誤った考えです。勢とは姿勢の勢とおなじくすがたの意味で、スタイルといっても良いでしょう、波のリズムを持つ字（体・スタイル）が波勢の意味です。いきおいとは関係ありませんのでご注意下さい。
　ここまで確認できましたら、ぜひ筆をとって実際に書いてみてください。隷書を習ったことのない人は難しそうに感じるかもしれませんが、慣れることが大切です、あとは練習あるのみです。隷書の道も、はじの一歩から、ぜひ手習いしてみてください。

初出／『拓美』４５４号（平成１５年９月）
Ｗｅｂ版／平成１８年４月再編・加筆