漢字の五体(40) ◆◇◆HOMEにもどる
隷書展望(その2)
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隷書には、波磔(はたく)をもたない『魯孝王刻石(ろこうおうこくせき)』(前56)・『莱子侯刻石(らいしこう)』(前16)・『開通褒斜道刻石(かいつうほうやどう)』(66)などの古隷とよばれるものと、波勢(はせい)によって波磔が強調される『石門頌(せきもんしょう)』(148)・『乙瑛碑(いつえいひ)』(153)・『礼器碑(れいきひ))』(156)・『史展碑(ししんひ)』(169)・『西狭頌(せいきょうしょう)』(171)・『曹全碑(そうぜんひ)』(185)・『張遷碑(ちょうせんひ)』(186)などの八分隷(または分隷という)の区別があります。とくに八分隷はいずれも後漢(ごかん)の紀元一四〇年代から一八〇年代に集中している石刻資料で、まさに隷書の黄金期です。
後漢がおわり魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国(さんごく)時代になると、魏の曹操(そうそう)が立碑の禁(りっぴのきん)を実施して、石室(石造の墓室)・石獣(墓道を飾る石獣)をふくむ石碑(故人の顕彰碑・墓銘)の建立を全面的に禁止(建安一〇年 205)します。これは後漢に流行した葬礼の盛大化が、国力を減じるまでに影響したためといわれます。ついで西晋(せいしん)の武帝も禁令を行い(咸寧四年 278)、いよいよ建碑は困難なものになりました。書道史の視点からすると、ちょうど楷書・行書の成立から普及の時期にあたり、もう少しすると書聖と呼ばれた王羲之(303〜361)が登場して書が美として鑑賞されるようになります。こうした政治的影響や書道史的変遷をつよく受けて隷書は急速に、その筆法と書き手を同時に失うことになりました。
東晋(とうしん)の『王興之墓誌銘(おうこうしぼしめい)』(340)は、1965年に南京市にある墓中から発掘されました。さきほどの立碑の禁令によって、墓誌銘は土中に埋められるようになっていたためです。王興之は、王羲之の叔父にあたる人物です。文字は王興之自身の書ではありませんが、当時の墓誌銘の書を知るうえで大変重要なものです。文字は、八分隷が特徴としてもっている波勢のまったくない直線的で運筆の自然さのないものです。こうした運筆の背景には、墓誌銘は隷書でならなければならないという書写習慣に従おうと楷書の筆法で行なったことが考えられます。また、こういった隷書のゴシック体のような筆法が定着して流行していたことも考えられることです。おなじく東晋の『爨宝子碑(さんぽうしひ)』(405)は清朝の中頃に雲南省から発見されたものです。じゅうらい楷書への過渡期の書と考えられていましたが、私個人としては『王興之墓誌銘』と同様に隷書体と考えています。筆法的には楷書の要素である趯勢(てきせい ハネ)が『王興之墓誌銘』『爨宝子碑』ともに認められますが、文字構造は隷書の構造をおおく含んで明らかに隷書を意識したものであるからです。
『王興之墓誌銘』と『爨宝子碑』とを見比べると、非常に似かよった文字の表情をしていることがわかります当時の政治文化の中心地である南京と、とんでもない辺境にある二つの書例が共通した様式であることは、文字文化の共有を示す例証といえましょう。ここで私は、こうした様式が隷書のひとつと考えるべきこととなると、漢代に行なわれた隷書が古隷・八分隷として区別することに加えて、三国・南北朝期の隷書は新しい様式として「新隷」とよぶことを提案したいと思います。
唐の『房彦謙碑(ぼうげんけんひ)』(631)は、楷書の極則をきわめた名人とされる欧陽詞七五歳のときの書です。『九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)』は翌年にかかれていますので、欧陽のたいへん充実した時期の書例です。前述の隷書の様式を当てはめてみると、古隷・八分隷よりもむしろ『王興之墓誌銘』『爨宝子碑』などの様式にちかいものであることがわかります。おなじく唐の『石台孝経』(745)は、開元の治をおこない名君とされ、楊貴妃によって亡国の天子とされた玄宗皇帝の書です。ゆったりとして豊満な書は、大唐帝国の君主にふさわしい堂々としたものです。玄宗の隷書は、八分隷の様式にちかいものです。こののち元朝には趙孟頫(ちょうもうふ)が、明朝には文徴明(ぶんちょうめい)などがでて隷書をよくしています。これらの書は、八分隷よりはむしろ『王興之墓誌銘』『爨宝子碑』の様式にちかいものです。
唐以後の隷書様式の変遷を考えるとき、古隷・八分隷にくわえて『王興之墓誌銘』『爨宝子碑』にみられるような新隷をあわせて考えてみると説明がつきやすいものです。清朝中期以後は金石派の人々が活躍して隷書の作例が様々に残されていますが、その多くが古隷・八分隷を得意として新隷はすっかり影をひそめてしまいました。
初出/『拓美』464号(平成16年7月)
Web版/平成18年4月再編・加筆