漢字の五体(41)   ◆◇◆HOMEにもどる


隷書の表現(その1)
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 今回は、金農(きんのう)を取り上げてみたいと思います。金は、清の康熙二六年(1687)に生まれ、仁和(じんわ 浙江省杭県)の出身とされます。名は農、字を司農(しのう)・寿門(じゅもん)といいました。号には冬心(とうしん)・吉金(きっきん)のほか、稽留山民(けいりゅうさんみん)・曲江外史(きょくこうがいし)・昔耶居士(せきやこじ)・百二硯田富翁(ひゃくにけんでんふおう)などがあります。このなかでも、もっとも親しまれたのは金冬心という呼び名でしょう。金の伝記は、有名な作家にもかかわらず詳細な伝記がわからない人です。生涯をとおして科挙(かきょ)におうじた様子はなく、生涯を市井に身をおき布衣として過ごしました。金は晩年に評価が高まったようで、作家としての活躍は揚州(ようしゅう 江蘇省江都県)に移り住んだ以後のことのようです。当時の揚州は、中国の南北を結ぶ中継地として栄えた経済都市でした。そこで活躍した塩商人や織物商人たちは巨万の財を蓄えたことから、文人や学者もしだいに集るようになり、ついには芸苑の都になりました。この地で活躍した文人には金のほか、王士慎(おうししん)・李鱓(りぜん)・黄慎(こうしん)・高翔(こうしょう)・鄭燮(ていしょう)・李方膺(りほうよう)・羅聘(らへい)などがいます。とくに後世この八人は揚州八怪(ようしゅうはっかい)とよばれて、その文芸が高く評価されました。乾隆(けんりゅう)二八年(1763)七七歳で亡くなりました。
 揚州八怪とよばれた文人達で、書で評価が高いのは金と鄭燮でしょう。両者とも、その字姿は一見して特異なものであることがわかります。中国の文芸の中でも、とくに書は伝統を強く受けます。この伝統とは、とうぜん王羲之・王献之そして、これにつらなる名人達です。ところが金と鄭燮の書には、伝統の継承や影響というものが、ほとんど見受けられないものです。こうしたことは中国の書の歴史のなかでも稀有なことで、ときに見かける個人はいても一時代・一地域に限定して、このような独創派が集中するのは、この揚州八怪の活躍に限られるようです。では、そうした特異な現象の文化的な背景の土壊となったものを考えてみますと、清朝という王朝の性格と、新興財閥の二点を挙げることができます。 −第一点−清朝は満洲族(まんしゅうぞく)という中国東北地方の一部族が中国全土を支配した王朝でした。このことから軍事での表面的な支配は目に見えて完成しましたが、精神的な支配には様々な政策と時間を要しました。清朝は国家事業として国中の文献をあつめて叢書編纂を行ないますが、これによって反清(はんしん)思想の文献・文章・字句を点検して徹底的な削除を施しました。さらに文字の獄(もじのごく)によって反清思想に触れると指摘されれば死罪に処しました。こうした政策は知識人を追い詰め反清思想の封殺に成功します。−第二点−商人たちは新興財閥ですので従来の伝統文芸について意識が薄かったことから、新しい芸術を吸収することに戸惑いはなく、かえって積極的であったようです。揚州八怪が活躍していた当時、宮廷にあっては康煕帝(こうきてい)の好みから、董其昌とうきしょうの書風が皇帝から宮廷官僚にいたるまで董一色に染められていました。異民族の支配する宮廷に中国書の伝統が継承され、民間に前衛芸術が発展するという何とも奇妙な様相になっていた次第です。
 わたくしは揚州八怪の活躍を、たんに一過の珍現象とはみていません。これは中国民族の満州族支配に対する精神的な抵抗であって、とくに書というきわめて伝統表現である分野にこうした事態を呈したことは、宮廷書ひいては清朝の支配そのものに対する否定や反発であったと見るべきであろうと考えます。それは意識されたというよりも無意識の民族の抵抗であったかもしれません。さて、後世の揚州八怪の書にたいする評価は高く熱心なファンも多いのですが、継承されることなく一時の芸象として孤立したのは、伝統を重んじる中国芸術の厳然たる審判というものでしょうか。
 取り上げた図版は、五言古詩の紙本立幅(本紙117cm×51cm)です。金の書については……『禅国山碑』(276)『天発神讖碑』(276)を師として、筆先を切って大字をかいた(『墨林今話』巻二)。……と記されますが、はっきりした典拠はわからないようです。この点について小林斗盦先生は、学問の師である何焯(かしゃく)と同郷の鄭簠(ていほ)との関係を指摘されています(書跡名品叢刊140『金冬心 金剛般若教』・203『金冬心作品集』解説 二玄社)。また隷書にある横画の独特の運筆は、漆書(しっしょ)とよばれます。漆(うるし)はヘラ状の刷毛で塗られますが、このとき横に漆が浮き出ます。この状態からつけられた呼び名でしょう。こうした表現も、従来に見られず金書だけに見られる運筆です。
*『漢字の五体』5(「楷書の表現」4)にて金農の楷書をご紹介しました、ご参照ください。


初出/『拓美』466号(平成16年9月)
Web版/平成18年4月再編・加筆