臨書探訪70 (3)   ◆◇◆HOMEにもどる


呉譲之 臨『礼器碑』
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 今回は呉譲之(ご・じょうし 注1)を取り上げてみたいと思います。呉譲之の臨書は篆書『天発神識碑(てんぱつしんしんひ)』、隷書『張遷碑(ちょうせんひ)』『桐柏准源廟碑(とうはくわいげんびょうひ)』『曹全碑(そうぜんひ)』『史農後碑(ししんこうひ)』『礼器碑(れいきひ)』、行書『蘭亭叙』・王羲之(おう・ぎし)帖・王献之(おう・けんし)帖・顔真卿(がん・しんけい)『争座位稿』・『祭姪稿(さいてつこう)』、草書『書譜』・『十七帖』・王羲之帖などがあげられます。おおくの行書・草書の王羲之帖・王献之帖は『閣帖』にあるものです。以上は手元の資料を抜書きしたものですので実際にはもっと多種の臨書があることと思われます。古典以外には、ケ石如(とう・せきじょ)にならったと思われる篆書・隷書.楷書作品が見られるのと、包世臣(ほう・せいしん)にならったと思われる楷書・草書が見られることです。包世臣は呉譲之の先生ですし、ケ石如は包世臣が師と仰いだ人ですから臨書というよりはお手本に近いように思われます。呉譲之の臨書内容から推察するに、とくに何かを習い尽くしたというよりは広く古典を学んでいます。各書体に共通するのは、包世臣が提唱したいわゆる「逆入平出(ぎゃくにゅうへいしゅつ)」による書の理想境の実現を試みていることです。包世臣は、この書の理想境が実現された状態を「気満(きまん)」という言葉で表現しています。この「逆入平出」という言葉は、実技の方法論を述べたものですが、「気満」のための理論であって、「逆入平出」はあくまでも導入としてのもので結論ではありません。書の奥義のようなものですから、そう簡単には理解することは難しいようです。そこで、見方を変えて誰が「逆入平出」によって「気満」を実現させたかを検討してみましょう。まず包世臣が最高に誉めた人物は、隷書(古隷)・篆書ではケ石如、八分・楷書もケ石如、行書・草書は数名を挙げますがケ石如は入っています。こうして考えてみるとケ石如が「気満」を実現させた第一人者ということになるでしょう。さらに提唱者の包世臣、その弟子の呉譲之、さらに趙之謙(ちょう・しけん)などがケ石如につながる人達です。作品を思い浮かべてみて下さい、それぞれに表現は異なりますが「気満」の理想が見えてきたでしょうか。
 ここに取り上げた臨書は、『礼器碑』の碑側のところです。『礼器碑』は、碑表・碑陰・左右の碑側の四面に字を刻しています。わたしたちの感覚にすると碑陰はともかくも左右の碑側まで刻さなくてもと思いますが、古くは『石鼓文(せきこぶん)』に見られるように太鼓の形状であれば表裏・側面はないわけですから、こうした不思議はなくなります。また四面に字を刻したものには顔真卿『顔氏家廟碑(がんしかびょうひ)』があります。お国柄というものでしょうか、珍しいことでもないようです。さて呉譲之の臨書ですが、ゆったりとした大らかな臨書です。各行とも中心が揺らいでいるうえに字の大小があり安定していませんが、一幅の出来上がりはまとまったものです。残った余白に一行の落款を入れる、まるでそれは始めから決っていたかのように、ピッタリとおさまっています。ああ一幅の完成とはこうしたものかとつくづく感心して納得させられるのです。落款には「咸豊(かんぽう)三年。楚氛(そふん)、揚州を犯す。城中の人、未だ避くる所を知らず。二月廿二日。賊匪(ぞくひ)千数にして突入せり。余すなはち倉皇(そうこう)として出走す。匣(はこ)にこの碑側あり。六月、検出してこれを臨せり。もって溽暑(じょくしょ)を消せり。煕載記す。」とあります。咸豊三年は、一八五三年、呉譲之五十五歳の作品です。突然の賊の侵入は太平天国の乱のことです。二月二十三日、この乱を避けて揚州を出奔した様子がリアルに書かれています。旧暦六月の蒸し暑さの中に、箱の中から『礼器碑』の碑側をとりだして臨書して過ごしたことが記されています。この蒸し暑さは、混乱のためでしょうか、碑側をとりだしたのは、急いで避難したためにおおくの碑板法帖が持ち出せなかったためでしょうか、すべてのことは暗示されて言い尽くされていません。

注1 呉譲之〈嘉慶(かけい)四年(一七九九)〜同治(どうじ)九年(一八七〇)〉は、江蘇省儀徴(こうそしょう・ぎちょう)の人。始めの名は廷颺(ていよう)。字は煕載(きさい)、号は言菴(げんあん)・方丈竹人(ほうじょうちくじん)・晩学居士。堂号は師慎軒(ししんけん)などと称した。五十歳以後、煕載を名とし、譲之を字とした。六十四歳以後、譲之を名とした。終生官吏登用試験を受けず、市井に身をおき文墨生活に生涯を送った。


初出/『玄筆』4号(平成8年7月)
Web版/平成18年5月再編・加筆