臨書探訪32 (69) ◆◇◆HOMEにもどる
近衛家熈臨 藤原佐理『松前帖』
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今回は、近衛家熈(このえいえひろ)を取り上げてみたいと思います。家熈は、寛文(かんぶん)七年(1667)に生まれました。父は関白太政大臣をつとめた近衛基熈(このえもとひろ)で、母は後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の皇女の常子内親王(つねこないしんのう)です。
延宝(えんぽう)元年(1673)七歳のとき、従五位上(じゅごいのじょう 官位)に叙せられます。のちに昇位して宝永(ほうえい)元年(1704)三八歳のとき正二位左大臣となり、同五年(1708)四二歳のとき摂政太政大臣(せっしょうだじょうだいじん)として最高位に任ぜられましが、翌年には辞任します。享保一〇年(1725)五九歳のとき准三宮(じゅさんぐう 名誉職)となってのち、落飾して僧侶となり予楽院真覚(よらくいんしんかく)と号しました。これより以後は文雅をたのしみ、元文(げんぶん)元年(1736)七〇歳で亡くなります。家熈の号には墨汝(ぼくじょ)・虚舟子(きょしゅうし)また吾楽軒(ごらくけん)・昭々堂主人(しょうしょうどうしゅじん)などがありますが、ひろく予楽院(よらくいん)と称されて親しまれています。
家熈の家系をたどってみますと、曽祖父の近衛信尋(このえのぶひろ)は右大臣をつとめ、祖父の近衛尚嗣(このえなおつぐ)も関白となった人で、それは五摂家(ごせっけ 天皇を補佐する摂政職にあたる五つの家)の筆頭という家柄でした。家熈は父である基熈が二十歳のときに生まれますが、その父の昇位とおなじくして昇位します。父基熈は、むすめの熈子(ひろこ 家熈とは兄弟姉妹にあたる)を六代将軍徳川家宣(とくがわいえのぶ)に嫁がせたことから天皇家と幕府をとりもって一層重用されました。家熈が格段の昇位をしたのには、こうした背景があるのです。
わが国の朝臣は、政治的な任務にくわえて学問文化の継承を重んじました。とくに書は、詩歌とともに必須の教養でした。家熈も諸芸をよくしていますが、その内容は詩歌・典籍・書画・骨董・金石・動植鉱物におよび、さらに生け花・茶道・香道・作庭をまなんでいます。
家熈の学書をたずねてみましょう。家熈の父・祖父とも、曽祖父の近衛信尋が寛永(かんえい)の三筆(さんぴつ)にあげられた近衛信尹(このえのぶただ)の養子となったことから三藐院流(さんみゃくいんりゅう)を継承します。三藐院流とは近衛信尹の書を祖とする流派で、禅僧の書の雄勁剛強をまじえた独特の書風はひろく世におこなわれました。とうぜんに家熈も三藐院流を学ぶべきなのでしょうが、賀茂流〈かもりゅう 藤木敦直(ふじきあつなお)を祖とする〉を学んでいます。家熈の書例をみてみますと、自運による詩歌文章があり、くわえて古典臨書が数多くのこされています。その臨書対象は、わが国の漢字、かなの名跡古筆をはじめ、中国の碑法帖におよんでいます。また、そのおおくが真筆からの臨書や摸書・双鈎(そうこう)であることも特筆されます。その態度は、原本に忠実で摸書双鈎などは虫喰までも写し、使用料紙を複製しています。わが国の書は、中国書道と密接にむすびついた三筆(さんぴつ)にはじまって以来、各時代に特徴ある書はあらわれるものの、おおくは流派書道いわゆる伝授書道が大勢をしめてきました。これを打破したのは江戸期の唐様の流行ですが、これも当時の中国書の移入であって、ひとときのファッションでした。明治にはいり、清朝書法との直結により中国書の原点に、いわば三筆の原点に回帰することになります。こうしたわが国の書史のなかで、家熈は数少ない古典臨書に徹した人といえましょう。臨書という点では良寛なども当たるのですが、その臨書対象の広さは家熈ただ一人といってよいでしょう。家熈臨本には、原跡が今日つたわらないものが少なくありません。家熈臨本によってのみ知られるこれらは、たいせつな研究資料です。
取り上げた図版は、陽明文庫(京都)に所蔵される藤原佐理(ふじわらすけまさ)『松前帖(まつがさきじょう)』の臨書巻子(本紙32.5cm×128.4cm)です。付紙に家熈の款文「以佐理卿真蹟、臨之。元禄八年小春十七日(家熈花押 かおう)」とあることから、家熈二九歳のときの臨書です。
この藤原佐理『松前帖』は、こんにち原跡がつたわらず家熈の真蹟臨本のみでしたが、高城弘一氏の研究により別の摸本(無名氏)があることが発表され、さらにこれが家熈臨本の摸写ではないことが指摘されたことから、佐理『松前帖』の真筆の存在がより確かになりました(「予楽院の写した佐理」高城弘一 『書に遊ぶ』3所収 2000 クリエイティブアートとまと)。一七世紀末には存在したのですから、今でもどこかの書庫に秘蔵されている可能性は十分あります。もちろんこれが発見されれば国宝指定は間違いないでしょう、家熈臨本をみながら期待は膨らむばかりです。
初出/『玄筆』69号(平成14年1月)
Web版/平成18年4月再編・加筆