臨書探訪要説2   ◆◇◆HOMEにもどる


―皇帝の蒐集鑑賞、国書となった王羲之の書―
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 王羲之の尊重は、王没後以後の中国歴代の帝室コレクションになったことで帝室の書とされたことに由来します。これによって個人の鑑賞を離れて、国家の書として扱われことになりました。国歌・国旗があるように、国の書つまり「国書」といっても良いでしょう。とくに唐の太宗皇帝のときは、その尊重が頂点に達しました。国家の為政者として太宗は、官僚子弟への書教育を目的として門下省(宮内省)に弘文館(こうぶんかん)を設置しました(『通典』)。その指導には、欧陽詢・虞世南をあたらせています。また官僚の採用のための科挙の試験では書技(ここでは楷書)を評価して、書は官僚の重要な能力とされました。この制度は、のちの清朝末期の十九世紀後半まで受け継がれました(元朝には科挙を廃止した期間がある)。書の尊重は中国の政治と密着し、これを構成した皇帝を中心とする官僚集団や官僚を志願した文人層によっていっそう濃密なものになりました。こうした政治と文化が表裏した結果、西欧文化にはない書という独自の文化が脈々と継承され生成発展と消長を繰り返しました。
 また太宗は、王羲之没後の歴代の皇帝が王書を求めたよりも、なお執心して探索しました。その結果、帝室には王朝交代の戦火によって失われたとされる王書が再び蒐集され、内容は二二九〇紙(楷書五〇・行書二四〇・草書二〇〇〇)と記録されます(張懐瓘『二王等書録』)。太宗の王書への執着を象徴するものが『蘭亭序』であり、これにまつわる数々の逸話でしょう。太宗の『蘭亭序』への尋常ならざる酷愛は確かのようで、供奉搨書人(きょうほうとうしょじん 複製専門官)である趙模(ちょうも)・馮承素(ふうしょうそ)・韓道政(かんどうせい)・諸葛貞(しょかつてい)らに摸書させて原寸複製を作らせています(何延之「蘭亭記」)。また、太宗の側近として仕えた欧陽詢・虞世南・褚遂良らの臨書と伝えられるものが残されています。さらには太宗自身みずからが筆を執って「王羲之伝」(『晋書』80)を書いています。内容は履歴の記述にとどまらず、書の名家(鍾繇・王献之・蕭子雲をあげている)の中でも王羲之が最高であると激賞しました。
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―日本における中国書の受容―
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 中国における政治と書の一体化した文化は、そのまま日本にも政治形態の移入と共にして持ち込まれました。当然その内容は王羲之の尊重であり、三筆(さんぴつ 嵯峨天皇・空海・橘逸勢)の時代を形成します。のちに和歌が宮廷の教養となってからは漢詩漢文の興味は衰微し、かわって仮名が中心となり三蹟(さんせき 小野道風・藤原佐理・藤原行成)の国風(こくふう)和様(わよう)の時代となります。
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・光明皇后(701―760)臨 王羲之「楽毅論」 ―臨書探訪9― 
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―摸書の時代(唐)―
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 太宗は、遺詔によって終生賞覧した『蘭亭序』を、自身の陵墓である昭陵(しょうりょう)に副葬させました。これによって王羲之最高の書とされた『蘭亭序』は伝説の書となりました。何としても実見したいものだと興味は尽きないところですが、唐という時代を考えますと、個人の意思による原跡の美的表現の追及という、今日のような臨書という考えは未だありませんでした。このことから太宗が命じたとされる専門官による摸書も、大家による臨書も、原跡を忠実に復元することを目的として行なわれていたと考えられます。伝承された『蘭亭序』における憑承素の摸書、また欧陽詢・虞世南・褚遂良の臨書を比較しても、細部の相違はあるものの大体において相違がないことは一目瞭然です。また『喪乱帖』なども、筆跡はもちろんのこと本紙の虫損まで忠実に摸写され、まったくの完全複製といってよいものです。私見になりますが、かりに昭陵から『蘭亭序』が発掘されたとしても、模本・臨本とされて伝えられている『蘭亭序』と大差はないだろうと推測しています。
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初出/『玄筆』103号(平成16年10月)
Web版/平成18年4月再編・加筆